個展「アヒルクサ文字に八百万の神々を見た」

前回の個展から5年


もうあんな面倒なことはやるまいぞ、と

決めていたのですが(苦笑い)


ある思いに駆り立てられ、個展を開催する、

と決意しました。


ヒルクサ文字に出会い惹かれ

いくつもの作品をこれまで

彫らせていただいてきました。


最初の圧倒的な存在感への

畏怖の気持ちであったものが、

彫る度に 近く深く

自分の中に刻みつけられていくような

感覚になっていきました。


彫るほどに

その存在は凄いとしか言いようがないのに 

認められていないのです。



伊勢神宮への奉納文に

古来より書かれてきたアヒルクサ文字ですが、

残念ながら

社会的に認知されてはいません。


これほどの文字が

日本古来の文化が

認められていない

なんとかしたい

そんな思いが強くなっていきました。


今回の個展は

そんなアヒルクサ文字の存在と

日本の古代の叡智、

古事記創世記の世界を

硝子工芸作品を通して

お見せしたいと思っております。


初花彫りの作品と共に

お楽しみいただけたら、幸いです。


f:id:yamatomanabi:20170904125553j:plain

      (作品名 なみのりふね)


ヒルクサ文字の作品は

ホームページの作品リストから

ご覧いただいた方が綺麗ですね〜

写している携帯が

写りこんでしまっているし(汗)...


ブログに慣れないので、お恥ずかしい限りです。

どうかお許し下さいませ。


[個展詳細]


日時☆10月3日(火)〜8日 (日)まで

           午前11時〜午後6時(最終日は午後5時)

会場☆桃林堂  http://www.tourindou100.jp/

          東京都港区北青山3-6-12みずほ銀行ビル1階  

会場電話☆03.3400.8703



杖の効用

毎日暑いです。

杖、ステッキ、

お年寄りの象徴にもなるものですが、

自分も一時お世話になったことがあります。


痛い、足が痛い、

もう杖にも頼ろと思って

使ってみたのですが、

これが歩くのも

階段のぼるのも楽なんです。


そして、杖をついているといいことがあります。


電車に乗ると、大抵席を譲ってもらえます。


ある時満員のバスに乗りました。

混んでいるバス特有の苛々が満ちていました。

私の斜め前に、

ザ.オジサンがふてくされた顔で

どっかり座っていました。


そのオジサンが立っている私と

目があった瞬間


そのオジサンの表情が一変して

「申し訳ありません。気付きませんでした。」

と席を譲ってくださいました。


そのオジサンがあんまりにも

丁寧だったものだから、


「まあ、ありがとうございます。

よろしいんですの?」

なんて、どこかの淑女よろしく言って

座らせてもらいました。


この時、バスの中の雰囲気が、

それまでの苛立って荒れた空気が、

優しく温かく心地良い空気に変わりました。


一本の杖がだれかの優しい心を呼び起こし

その優しい思いが場の雰囲気を変えたんです。


これぞ、杖の効用。f:id:yamatomanabi:20170715120909j:plain

 

それから、乗り物に乗る時には

なんとなく、席を譲ってもらえるのを

期待してしまう、さもしい自分がいました。


しかし、夕方の千代田駅に乗った時は

そんな甘さ吹き飛びましたね。


周りみんな、おばあさんばっかり、

杖ついてる人ばかり、

たまさか席が空いたが、

おばあさんと私で席の譲り合い


「どうぞ」「いや、どうぞ」「いやいやどうぞ」

これもなかなか微笑ましい。


フト見ると若いサラリーマンふうの

男の子が座って、爆睡してました。


この子の背中に何人の老人の生活が

のしかかっているのだろう


ほぼ倒れるように眠っている

若者の姿から、今の日本を感じた

夕方の千代田線。

伊邪那岐大神のしるし


随分とご無沙汰してしまいました。
前に何を書いていたのでしょう。

そうです、アヒルクサ文字の作品に
取り組んで参ります!
と宣言したところだったんですね。

実は古神道の学びを始めました。
そして言霊学に出会い、
言霊学の講義を受けることになるんです。

ある日の講義の中で古事記に記されている
伊邪那岐伊邪那美の黄泉の 国での
お話がありました。

多分ほとんどの日本人は聞いたことのある
古事記でも最も有名なくだりです。

その本当の意味することは意図的に隠されて
表に出ることは今日までありませんでした。

言霊学のお話は軽々に語るものではないので
詳しくは控えますが

伊邪那岐神が黄泉で受けた穢れを
川に入って清められますね

その時に沢山の神々が生まれ 
最後に三貴神である
天照大神月読命須佐之男命が生まれるのですね。

古事記の中で、禊祓いを済ませた伊邪那岐神
伊邪那岐大神と記されるようになります。

言霊学の講義で伊邪那岐大神は
伊邪那岐神伊邪那美神を統合された姿である

それは究極の二項対立の生と死を統合し
東洋文明と西洋文明とを統合した姿であると言われました

西洋の学問、医学も経済、政治も
これほど行き詰まって先が見えない現代

東洋と西洋を統合する、
善悪全ての二項対立を乗り越えて
新しい文明の形が求められている

などと分からないながらも感じていた私は
伊邪那岐大神にそれを見た気がしたんですね。
f:id:yamatomanabi:20170207163854j:plainf:id:yamatomanabi:20170207170931j:plain

アヒルクサ文字の伊邪那岐神の「イ」と伊邪那美神の「ヰ」を
統合して伊邪那岐大神の文字を作ってみたい、
などとまぁ〜畏れ多いことを考えてしまったのです。

そしてアヒルクサ文字の「イ」と「ヰ」を組み合わせるべく、
日も夜も考えていたある時
二つの文字がピッタリと合わさる
角度を見つけたのです。

それぞれの文字が持つ特徴を損ねることなく
一つの文字に合わさった時に
絶妙なバランスになる形がそこにありました。

伊邪那岐大神の印が生まれた瞬間です。

文字が生まれる時、
もしかしたら、こんな何かを現したいという
情熱と喜びがあったのかもしれないなぁ〜
と、つらつらに考えています。



アヒルクサ文字



2014年7月はすこぶる暑い夏でした。
その暑い夏の日 
甲府の七沢賢治先生とお話していました。
次のテーマを探していた自分に七沢先生が
「 アヒルクサ文字を彫ってみたら
   どうですか? 」と
いつものにこやかな笑顔でなんだか楽しそうに言われました。

”えっ?あの神代文字のアヒルクサ文字ですか?
私なんかが彫っちゃってもいいんですか?
グラスとか日常に使う器に神代文字
彫ってしまってもいいんですか?
え〜っ、本当にいいんですか?”

おもいがけないご提案に戸惑いを隠せない、
でも物凄く嬉しい自分がいる。

以前アヒルクサ文字を文献で見た時に
感じた衝撃!
かっこいい!
誠に軽薄な感想なのですが、
素直な感想はカッコイイでした。

それからアヒルクサ文字のことを調べるうちに益々魅了されていきました。

伊勢神宮 の神宮文庫に納められた奉納文で1973年に公開された資料が写真の物です。
f:id:yamatomanabi:20151210223606j:image
一番右の内容は
アマテラスオホミカミ、フシハラフヒラ
(藤原不比等)と書かれています。

奉納文でこれまでに確認された99点のうち
57点がアヒルクサ文字で
書かれているということです。

奉納した人物は藤原不比等稗田阿礼
誰でも知っている歴史上の人物の名前を
見つけた時はいささか興奮しましたね。

日本に漢字の入ってくるはるか以前から
存在していたとされる神代文字
でも学会はその存在を認めていないようです。

以前某大学の教授にアヒルクサ文字のことを
お聞きしたら、
”アヒルクサ文字は学会ではタブーなんで、
なんともお話出来ないのです”とのお返事


アヒルクサ文字の存在を
認めたくない方々がいらっしゃるようですが、別に大したモンダイではないかとも
思うのです。

いつか真実は明らかになるのでしょう。

私は緊張と期待で破裂しそうなアタマを抱えてアヒルクサ文字の作品に取り掛かりました

まず日常にも使える透明の厚手のグラスに
アヒルクサ文字を彫りたいと思いました

☆う、あ、わ☆なのですが
その宇宙の始まりの造化三神
グラスに彫ろうと、
まあ〜恐れ多くも思ったのです。


さて、そこからが
自分との闘いが始まりました。


自分に思いつく限りの清らかな環境にする為にデジタルとアナログ両方の祓い清めをします。
そして自分の余分を祓い精神を透明、
無の状態に近づける努力をしてから
制作しました。

神剣をうつ刀鍛冶の真剣さが
少し分かったような気がしました。

最初のグラスを賢治先生にお見せした所、
じ〜っと見ていた先生は
「 リズムを感じたらどうですか 」
と言われました。

リズムリズム、文字のリズム
そこで書道家の方にアヒルクサ文字を
実際に書いていただいて、
動画にして何度も繰り返し見て
筆の動きからリズムを感じるようにしました。

さあ〜次はなんて言われるのか
ドキドキしながらお見せしたら、
「 荒御魂が強いようですね」

荒御魂か、
これは自分の性格の一番強い部分なので、
 難しい。

確かに緊張から
平らかな素の心では彫れなかった

上手く彫ろうとしていた自分に気付いて
その思いを手放し
アヒルクサ文字のリズムを感じられた時、
命が立ち上がるイメージが浮かんだのです。

あくまでも私個人の感覚なんですが、
アヒルクサ文字はエネルギーの形
と思えました。

遥か古代に音を形で捉えられる超天才の方々がおられて、その方々が創ったのが
アヒルクサ文字ではないか、

象形文字は目に見える形を
文字にしたのに対し
神代文字はその起源がすこぶる
謎に満ちている。

なぜ、一音一音があの形なのか

空想が拡がっていきます。

それから幾つも彫ることで慣れてきた私は
文字が生きているように
見えるようになりました。

それでお持ちしたら
賢治先生にとてもお褒めいただき、
まず最初のアヒルクサ文字の作品が
出来上がりました
f:id:yamatomanabi:20151210224409j:imagef:id:yamatomanabi:20151210224520j:image
アヒルクサ文字について
白川学館に残る文献資料の内容については
又の機会に回すことにします。

かような流れで
白川学館に伝わるアヒルクサ文字
( 伝わる家ごとに微妙に形が違うように見えました )を硝子工芸品にするワクワクする日々が始まりました。



はじめまして

f:id:yamatomanabi:20150615141822j:plain


初花の独り言をお訪ねいただき、

ありがとうございます。


はつか庵の完成はまだ先になりそうなので、初花の独り言だけスタートすることに致しました(*^_^*)


ブログを書く当たって、何を書こうかといささか迷いましたが、まずはサンドブラストについて私の思う所をお伝えしますね。


サンドブラストを始めて間もない頃からグラスを彫った後、とても気持ちが落ち着くことに気づきました。


ノズルの先から吹き出す砂でガラスを削っていく、ただそれだけの実にシンプルな工芸ですが、ひたすら削っていった先に

意図したものが顕れると言えます。


これは引き算の工芸なんです。


何も足さない、集中することでいわゆる無になる、そして自身の余分も削り落とす、これは凄い工芸だと思いました。


多分全ての仕事、工芸も含めて、真摯に向かいあえば自分を磨く修行になるのだと思います。


サンドブラストはそれが とても分かりやすいんですね。


ある方にこんなことを言われました。

<ガラスは硅素で出来ていますね。砂も硅素です。同じ物で削るということは最も抵抗の少ない調和された工芸なんですね>


成る程!力の作用は必ず反作用を生みますが、同じ素材で削るのであれば、反作用が少ない。


ガラスに優しく調和の工芸なんだと気づきました。

                 続く