個展「アヒルクサ文字に八百万の神々を見た」
前回の個展から5年
もうあんな面倒なことはやるまいぞ、と
決めていたのですが(苦笑い)
ある思いに駆り立てられ、個展を開催する、
と決意しました。
アヒルクサ文字に出会い惹かれ
いくつもの作品をこれまで
彫らせていただいてきました。
最初の圧倒的な存在感への
畏怖の気持ちであったものが、
彫る度に 近く深く
自分の中に刻みつけられていくような
感覚になっていきました。
彫るほどに
その存在は凄いとしか言いようがないのに
認められていないのです。
伊勢神宮への奉納文に
古来より書かれてきたアヒルクサ文字ですが、
残念ながら
社会的に認知されてはいません。
これほどの文字が
日本古来の文化が
認められていない
なんとかしたい
そんな思いが強くなっていきました。
今回の個展は
そんなアヒルクサ文字の存在と
日本の古代の叡智、
古事記創世記の世界を
硝子工芸作品を通して
お見せしたいと思っております。
初花彫りの作品と共に
お楽しみいただけたら、幸いです。
(作品名 なみのりふね)
アヒルクサ文字の作品は
ホームページの作品リストから
ご覧いただいた方が綺麗ですね〜
写している携帯が
写りこんでしまっているし(汗)...
ブログに慣れないので、お恥ずかしい限りです。
どうかお許し下さいませ。
[個展詳細]
日時☆10月3日(火)〜8日 (日)まで
午前11時〜午後6時(最終日は午後5時)
会場☆桃林堂 http://www.tourindou100.jp/な
会場電話☆03.3400.8703
杖の効用
毎日暑いです。
杖、ステッキ、
お年寄りの象徴にもなるものですが、
自分も一時お世話になったことがあります。
痛い、足が痛い、
もう杖にも頼ろと思って
使ってみたのですが、
これが歩くのも
階段のぼるのも楽なんです。
そして、杖をついているといいことがあります。
電車に乗ると、大抵席を譲ってもらえます。
ある時満員のバスに乗りました。
混んでいるバス特有の苛々が満ちていました。
私の斜め前に、
ザ.オジサンがふてくされた顔で
どっかり座っていました。
そのオジサンが立っている私と
目があった瞬間
そのオジサンの表情が一変して
「申し訳ありません。気付きませんでした。」
と席を譲ってくださいました。
そのオジサンがあんまりにも
丁寧だったものだから、
「まあ、ありがとうございます。
よろしいんですの?」
なんて、どこかの淑女よろしく言って
座らせてもらいました。
この時、バスの中の雰囲気が、
それまでの苛立って荒れた空気が、
優しく温かく心地良い空気に変わりました。
一本の杖がだれかの優しい心を呼び起こし
その優しい思いが場の雰囲気を変えたんです。
これぞ、杖の効用。
それから、乗り物に乗る時には
なんとなく、席を譲ってもらえるのを
期待してしまう、さもしい自分がいました。
しかし、夕方の千代田駅に乗った時は
そんな甘さ吹き飛びましたね。
周りみんな、おばあさんばっかり、
杖ついてる人ばかり、
たまさか席が空いたが、
おばあさんと私で席の譲り合い
「どうぞ」「いや、どうぞ」「いやいやどうぞ」
これもなかなか微笑ましい。
フト見ると若いサラリーマンふうの
男の子が座って、爆睡してました。
この子の背中に何人の老人の生活が
のしかかっているのだろう
ほぼ倒れるように眠っている
若者の姿から、今の日本を感じた
夕方の千代田線。
伊邪那岐大神のしるし
アヒルクサ文字
はじめまして
初花の独り言をお訪ねいただき、
ありがとうございます。
はつか庵の完成はまだ先になりそうなので、初花の独り言だけスタートすることに致しました(*^_^*)
ブログを書く当たって、何を書こうかといささか迷いましたが、まずはサンドブラストについて私の思う所をお伝えしますね。
サンドブラストを始めて間もない頃からグラスを彫った後、とても気持ちが落ち着くことに気づきました。
ノズルの先から吹き出す砂でガラスを削っていく、ただそれだけの実にシンプルな工芸ですが、ひたすら削っていった先に
意図したものが顕れると言えます。
これは引き算の工芸なんです。
何も足さない、集中することでいわゆる無になる、そして自身の余分も削り落とす、これは凄い工芸だと思いました。
多分全ての仕事、工芸も含めて、真摯に向かいあえば自分を磨く修行になるのだと思います。
サンドブラストはそれが とても分かりやすいんですね。
ある方にこんなことを言われました。
<ガラスは硅素で出来ていますね。砂も硅素です。同じ物で削るということは最も抵抗の少ない調和された工芸なんですね>
成る程!力の作用は必ず反作用を生みますが、同じ素材で削るのであれば、反作用が少ない。
ガラスに優しく調和の工芸なんだと気づきました。